95年 当時小学生でした
親戚も神戸にいて
家族がひどく狼狽えていた記憶はありますが、残念ながら小学生低学年の目にはそれほど沢山の情報を分別することはできてなかった
そして、近年になって
インドネシア・スマトラ島沖地震
NZ地震
痛ましいニュースでしたが、TV画面の中に流れる自国でない国のニュースは、自分の中で現実感に欠ける話しだったに違いなく
この夜になるまではヒトゴトだったのだろうと思う
けれどやはり、これは他人事ではない。
東北・関東では自分自身に関わりのある人・ない人、関係なく、
すべての人が災害にみまわれて、怪我を負っていたり、不安になっていたり、休める場所を求めていたりしている
幸運にもその場にいなかった人たちは、現地の人たちに何か有益な情報を送ろうとしていたり、不安に陥ってるであろう人たちを励まそうとしている
これらはみんな、同じ空の下でおきていた
同じ夜に包まれているし、同じ夜明けを迎えようとしている
人は何らかの形で繋がっていたし、自分も、渦中にいる
関係のあるなしではなく、
おこった震災に心を痛めて、力になれればと言葉や意思を発しているすべての人と同じように、
震災のただ中にいる人たちと繋がろうとしていた。
自分が家族を想い、家族が自分のことを想ってくれていることが当たり前にあるように
その場所にいる人に心を繋げようと思う
即物的な話しももちろん必要ではあるけれど
沢山の人が、自分たちと共にあることを
まずは声と想いを伝えたい
“Use your heart, To love somebody.” と言っていた偉大なアーティストがいました。
こういう時こそ ハートを遠くの人のために砕く べきなのではないのかなと感じます
そろそろ夜が明けます。
東北太平洋沖地震
できることも、探していければと思います。
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